今回は一度は聞いたことがある、55年体制について簡単にまとめてみました。
55年体制についてWikipediaでは・・・
政治ニュースや近代の歴史を学んだり、触れると一度は聞くことがあると思います。
ちなみに、Wikipediaによると
55年体制(ごじゅうごねんたいせい)は、日本において、与党第1党は自由民主党が占め政権を維持し、野党第1党日本社会党とその他非自社政党の合計で3分の1を占め、憲法改正を阻止していた体制。野党第一党の社会党は途中から過半数の候補者を選挙に擁立自体せず、政権交代は狙わない万年野党である代わりに憲法改正を発議させない3分の2の議席阻止のみを狙った。1955年(昭和30年)に自民党・社会党の2:1構図が成立したためこう呼ばれる。以後、政治と金のスキャンダルによって自民党が国民の信頼を失っていく一方、社会党も政権交代を狙えない万年野党の立場から支持を失っていった。 そして1993年(平成5年)の衆議院議員総選挙において自民党の分裂による過半数割れ、社会党も惨敗となるなか、多数誕生した新党が議席を伸ばした。この結果、非自民党連立政権となる細川内閣が成立し55年体制は崩壊した。
Wikipedia
と、いった感じです。
要約すると・・・
55年体制の始まりは1955年に自由民主党が与党として政権を長きにわたって維持していたことを指します。
55年間ではなく、1955年からなので55年体制です。
自由民主党が政権を維持している一方で野党としては社会党が大きな政党として存在し対立していました。

しかしながら、社会党が一向に政権交代できず社会党は万年野党として存在し互いに現状に甘んじた政治体制のこともさします。
55年体制の崩壊
前述したとおりの協力対立関係は長く続くことなく崩壊します。
その主な要因は
- 自民党のスキャンダル
- 社会党の不甲斐なさ
です。
そこに加えて
- 小沢一郎氏率いる新政党
- 鳩山由紀夫氏ら元自民党議員の新党さきがけ
の世論の期待から1993年衆議院選挙で自民党は過半数を割る議席となります。
この1993年衆議院選挙が実質的55年体制の崩壊を意味します。
次に細川連立政権が成立したことで政治体制が崩壊です。
この細川内閣も短命に終わってしまうのですがこれはまた次の機会に・・・
まとめ
まとめとして覚えておく点としては
- 1995年に自民党が与党として政権を長期に維持
- 自民党の万年与党、社会党の万年野党
- 細川内閣の誕生で55年体制の崩壊
の3つです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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